My history 私の半生
人間に歴史ありといいますか。
思えば、わりとアートに縁のある人生(半生記ぐらい?)だったので、ふりかえってみたいと思います。
※落書きで失礼します・・・
1980年~
物心ついた時から落書きばかり描いてました。
当時は「うる星やつら」ブームでして。
ラムちゃんが描ければ人気者でした。
調子にのって中学に入るまで画家の先生のお絵かき教室に通ってました。
とても楽しかった。
ただ、今思うと、もう少し真剣に学んでいれば良かったなと思う。 |
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1988年~
中学時代に入り、絵をあまり描かなくなりました。
(お絵かき教室も中学の帰宅時間の関係上、やめることに)
代わりに映画にドはまりし、毎日のように近所のビデオレンタル店に通い、映画情報誌「ロードショー」と「スクリーン」を読み漁る毎日。小遣いは上記の分ですぐになくなった。
最初こそ、無駄に高い身長を活かしたいと運動部に入部したが、人間関係がうまくいかず、退部。
その後、誘われて美術部に入部。
そして卒業まで在籍。
私の「愛想がいいのに、実はコミュ障」はこの時期から現在まで続きます(苦笑)
いや、単に自分勝手なだけかも。 |
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1993年~
私立高校をドロップアウトした後(理由は↑と同じ)、アメリカの寄宿舎のある高校へ入学。
たまたまアート系に明るい学校でして。
休日に授業の残りの作業をして、他の生徒に「なぜ、休日までも?」と不思議がられたものです。一人の時間は苦痛ではありません。
でも独りぼっちだと思われるのは、嫌です(笑) |
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1998~
高校を卒業して日本に帰ってきても、なにがしたいわけでもなく。
が、しかし、漠然と「芸術家になりたい」は思ってました。
とはいえ、現実には「それは職業じゃない」わけで。働く準備の為にデザイン専門学校へ。
当時は絵を描く仕事→ビジュアルデザイナーでした。(グラフィックという言葉は浸透してなかった)そこまでレベルの高い学校ではなかったですが、それでも専門学校生活はわりとハードでした。卒業に足りない単位はお友達と当時の彼氏に手伝ってもらい、何とか卒業。
お友達できる時はできる。たいてい、相手が素晴らしい性格であったりする。MACもWindowsも出始めで激高価な時代。
授業のほとんどはデッサンとレタリング。レタリング、苦手でしたわ。
そして絵もほとんど描いてませんでした。(芸術家になりたいくせに・・・)
時は90年代。
よく遊びました・・・。
たぶんある種の病気にかかってたと思う。
だって、基本的には外でるの嫌ですもん。 |
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2000年~
他の仕事もしようかと思ったが、挫折。
結果、学んだデザインの道に進む事に。
家にパソコンもない。
あるのは情熱だけ。再び、単身大阪へ。
ハッタリ→挫折→また求職の日々。妥協したらそこで試合終了ですよ!何かの漫画で「ハッタリいってたら、そのうち本当になる」とあったので実行。世の中うまくはいきませんでした。
3年くらいかけて、少しづつデザイン業に近い仕事に就いていく。
家出同然で、でてきたので、後には引けなかった。
まあ引くつもりもあまりなかったけど・・・それが「若さ」。
そしてハッタリはすぐバレる。常に気まずかった。
一人暮らしで無職の時は最高2ヶ月間しゃべらない生活をして、初めて声だした時は戸惑いましたw |
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2003年~
ちょこちょこ技術があがってくると、今度はまた違う会社へを繰り返し・・・・。
とあるゲーム会社で本格的に腰をおろしてどっぷりとデザイナー生活を。しかし、仕事がハードすぎて、帰宅すらままならず、何日も徹夜が続き、何度も気絶。
2年ほどでギブアップ。
(最後はキレて終わりました)ブラック企業、過労死なんて言葉のない時代でした。
生きていくことに必死。
20代はほとんど仕事探していました。
今でも仕事探す夢をよく見ます。 |
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2006年~
父の看病で地元に帰ってきてを繰り返してたら、某企業の派遣切りに合いました。
すぐに他の仕事は見つかりましたが、同時期に父も亡くなり、毎日のように母から泣き言の電話がかかってくるのもあり、そして「そろそろ大阪はもういいかな、フリーになりたいな」と思い、地元に帰って、独立することに。
しかし、そーそーうまくは行きませんでした。
兼業でバイトも掛け持ち(バイト先もデザイン業で、ありがたかった)。
フリーデザイナーの生活はそう長く続かなかったです。
営業力もなかったけど、すべてを補える実力もなかったような気がします。
何んだかんだでそんな生活が9年ぐらい続き、現在はバイト先で正社員として雇ってもらってます。
そして、デザイナーとして早20年がすぎようとしていますが、今だベテラン感ゼロです。 |
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2014年~
新婚旅行で訪れたイタリアで、生の芸術に触れて感化。
今までもデジタルで作品を作ってはいたが、その時期から本格的に手描きで作品をつくるように。
和紙を使った作品を作るようになったのは2017年頃から。理由は簡単。作品の色付けが苦手すぎて「・・・貼ったらいいんじゃない?」と思ったから。和紙ちぎり絵はそんな中で出会った手法です。名前に「和」がついてるのは単なる偶然です(笑)
2019年~
海外のグループ展に参加し、大変楽しく、影響を受けたので「これからは積極的に海外に向けて作品を発表しよう」と思った。
2020年~
世界中を混乱を起こす疫病が発生し、海外への道を絶たれる。というか、絶つ。
現在、別職の準備中ではあるが、手が空いた時などに作品作りに向き合っています。
2024年~
アラフィフになりました。
そして、なぜか会社の命を受けてデザイナー兼占い師(←昔からの趣味)になっています。
ブログやYouTubeもやっているので、常にヒーハーの生活です。
落ち着いたら絵を描きたいなと願う今日この頃。